鈴木 徹司

主体性


先週、小2の娘が、スイミングの選手育成コースにいくかどうか悩んでいました。

これまでの一般コースと異なり、練習が厳しくなり、夜も遅くなり、
記録会への参加も必須となります。
他の習い事も減らさないといけないかもしれません。

どちらがいいかは親にも分かりません。
どちらのほうが親にとってうれしいとか、どちらが親にとって都合がいいかとかはありますが、
本人にとって、将来的にどちらがいいかは誰にも分かりません。

というわけで、「自分で決め!」と判断を委ねました。

娘は、まずお試しの「体験」に2回参加することにしました。
ついていけるか、友達はできるか、体感したかったようです。

次に、「育成コースに行くことにした。」と言いました。
「おぉ、そうか、頑張ることにしたんか。」と返事する私の雰囲気を感じ取っていました。

そして、翌日、「やっぱりバレエのほうが好きやから、やめとく。」と言いました。
「そうするか、自分で決めたほうでいいよ。」
そういう私の顔をじっと見ていました。

まず、選択肢をしっかりリサーチし、
親がすでに結論を持っているのか、
何らかの親の期待に優先的に応えるべきなのか、
本当に自分で判断していいことなのか、
状況分析しました。

結果的に、自分で判断していいと分かった娘は、
育成には行かない、と自分の道を決めました。 
晴れ晴れとした迷いのない顔で。

大人になっても、誰かに言われたからとかで
自分の人生を自分で決めていないことが多々あります。

主体性を育てる難しさと大切さを実感しました。