鈴木 徹司

自己責任と社会責任のバランス

どこまでが自己責任で、どこからが社会の責任か。
最近、すべてを自己責任として片付けられることへの反動が目立つようになってきました。
感情的になることなく、どこまでが自己責任かを社会で合意して決めていく必要があります。

30代で仕事がないのは、自己責任か社会責任か?

TV番組で30代の男性が、
「何が悪かったのかってなると、自分が悪かった、としかならないんです。」と言っていました。

自責の念がその人の再起を阻害しているように思います。
肩の力を抜いて、できることから一つずつ積み上げていけば、
好循環に持っていけそうですから、それをサポートする社会のしくみが必要だと感じます。

番組の主旨は、
すべてを自己責任として個人に負担を押し付けてしまうことで、這い上がれない若者がたくさんいる。
これを社会問題として取り上げ、社会的な解決策を探るべきだ。
ということのようです。

弱者の視点に立った番組構成ですが、
問題の原因がすべて社会にあるかのような印象さえ与えてしまっていました。

何か問題が起こったとき、
問題の原因には、ほとんどの場合
自己責任と社会責任(=自己以外の責任)が共存しています。

そのバランスが、自己責任のほうが大きかったり、社会責任のほうが大きかったりするだけで、どちらもあるわけです。

つまり、この問題はすべて自己責任ということも、すべて社会責任だということも、
偏った見方だということです。

そのなかで、どこまでを社会責任として、みんなで負担するかということです。

ここで、先ほどの30代で仕事がない人の例をとって、考えてみます。

<自己責任>
本人の努力が足りなかった。
本人の見通しが甘かった。

<社会責任>
社会人教育をするしくみがなかった。
再就職しようにも、求人が少ない。

どの原因も一理あります。

社会人になってから勉強も一切していない事実を知れば、
「努力不足」を感じるでしょうし、

ハローワークで求人の少ない実態を知れば、
社会責任だと感じるでしょう。

その場、その場の感情で右往左往することなく、
どこまでは個人が責任をもって頑張る必要があり、
どこからは、社会がみんなでサポートするのかという議論を深めていきたいですね。