鈴木 徹司

恩着せがましい言葉の弊害


子供を教育している真っ最中なので、教育に関する本をよく読むようになった。

『 子供の自信をつける言葉 トラウマになる言葉 』 (加藤諦三著) によれば、

(以下引用)

おまえを食べさせるために、今日もイヤな会社に行かなければならない、いう顔を毎朝父親にされたら、子どもは自分に自信を失い、鬱になるだろう。

自分なんかいないほうがいいのだ、と感じた子どもがどうして生きることに積極的になれるだろうか。

親が不満いっぱいで働いてくれても、子どもは喜ばない。

しかし恩着せがましい親とつき合うためには、それでも子どもは感謝をしなければならない。

そこで自分の本当の感情を抑圧しなければならない。

そしてそれがひどくなれば最後は鬱病になる。

(引用終わり)

子どもの心理を知らないばかりに、子どもの心を傷つけてしまっている親がたくさんいる。

「あなたが生まれて苦労した。」

「教育費がかかるからパートに出ないといけなくなった。」

「送り迎えがしんどい。」

「あなたが生まれてからいいことがない。」

「教育にお金がかかって大変。」

「お父さんと結婚しなきゃ良かった。」

このような言葉は、時に、子どもの存在を否定し、大きな傷を残してしまいます。

このくらい言っても許してもらえるだろう、

毎日世話しているのだからこのくらい我慢してもらわないと、・・・

そんな親の甘えが、子どもを将来に渡って苦しめることを知らな過ぎた。

あまりに軽く考えすぎたと私は思う。

子どもの存在を否定し、その自信を奪いながら、もう一方で、頑張れと旗を振る。

そんな矛盾だらけの家庭教育がまかり通ってきた結果が、現在の社会状況に現れてきたのだと思う。

やはり、家庭教育が基本の基本。

どんなにしんどいときにも、親であり続けたい。

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