鈴木 徹司

「こゝろ」 (夏目漱石) 一日後

おつかれさまです。鈴木です。

昨日読んだ、夏目漱石の「こゝろ」
一晩寝ると、また違う印象になってきました。

私は、何か違和感を感じたり、理解できなかったときに、そのまま保持するようにしています。

自分なりに理解しようとすると、自分の過去の経験に無理やり当てはめてしまうことになり、
本質を違うように解釈してしまうからです。

昨日の違和感は、
主人公が最後に、遺される妻を気遣って、真相を話さずに自殺するところ。

美談として、幕を閉じていますが、本当にそうなのか?

思考を一晩熟成することで、疑問が湧いてきました。

主人公自身も、親友が恋に破れた真相を遺書にしたためずに、自殺したことで、長い間苦しみました。

美談なのは、自殺した当人だけであって、遺された人には、悲劇だという事実。

しかも、それが無意味に繰り返されていること。

漱石は、純真さに潜む残酷さを描いたように思えてきました。

真相を明かして、相手が苦しむのを見るのは、辛いものです。

そんな役は、誰だってするのは、嫌です。

真相を明かさないのは、相手を思いやった優しさでなく、

自己保身であると、語りかけているように思えます。

主人公の妻は、何度も「何も言ってくれないのよ」と困惑しています。

この小説の続きがあるとすれば、それは妻の自殺かもしれません。

こういうのを、因縁というのでしょうか。