「こゝろ」 (夏目漱石) 一日後
投稿日:2008年5月19日
昨日読んだ、夏目漱石の「こゝろ」
一晩寝ると、また違う印象になってきました。
私は、何か違和感を感じたり、理解できなかったときに、そのまま保持するようにしています。
自分なりに理解しようとすると、自分の過去の経験に無理やり当てはめてしまうことになり、
本質を違うように解釈してしまうからです。
昨日の違和感は、
主人公が最後に、遺される妻を気遣って、真相を話さずに自殺するところ。
美談として、幕を閉じていますが、本当にそうなのか?
思考を一晩熟成することで、疑問が湧いてきました。
主人公自身も、親友が恋に破れた真相を遺書にしたためずに、自殺したことで、長い間苦しみました。
美談なのは、自殺した当人だけであって、遺された人には、悲劇だという事実。
しかも、それが無意味に繰り返されていること。
漱石は、純真さに潜む残酷さを描いたように思えてきました。
真相を明かして、相手が苦しむのを見るのは、辛いものです。
そんな役は、誰だってするのは、嫌です。
真相を明かさないのは、相手を思いやった優しさでなく、
自己保身であると、語りかけているように思えます。
主人公の妻は、何度も「何も言ってくれないのよ」と困惑しています。
この小説の続きがあるとすれば、それは妻の自殺かもしれません。
こういうのを、因縁というのでしょうか。