東 周平

NGワードゲーム

東(アズマ)です。

様々な娯楽が提供されている昨今、
一周回ってアナログな遊びが楽しい、面白いと思うことがあります。
人生ゲーム、人狼、TRPG、将棋、オセロ……

こうしたアナログな遊びも、オンラインで行えるようになりつつありますが、
対面には対面の面白みもあるなあと思います。

さて。そんなアナログな遊びとして、「NGワードゲーム」というのがあります。

NGワードゲームのざっくりした解説:
①参加人数:複数人(3-10名程度)
②用意するもの:紙(参加人数分)とペン
③敗北条件:プレイヤーが、自分に対して設定された「NGワード」を口にすること
④勝利条件:自分以外のプレイヤー全員が敗北すること
⑤NGワード:
参加する任意のプレイヤーに対し、
それ以外のプレイヤーによって定められる文言。
単語であることが多いが、特徴的な語尾などを設定することもある。
ゲーム開始前に、対象のプレイヤーに見えないように紙にNGワードを書き、
伏せておく。
⑥上記①-⑤の条件のもと、プレイヤーたちは会話をし、勝利を目指す。

面白いのでぜひ遊んでみてください!

……という内容で本ブログを締めくくってみるのも、
平和で良いなあと思いますが、このブログの趣旨は
もう少し殺伐としたものです。

「日々の生活って勝利条件のないNGワードゲームではないか?」
ということです。
誰かの言葉に感情を動かされること、時に怒りを覚えることというのは
あるかと思います。
(それがない人というのは、アンガーマネジメントが不要ですね!)

一方、自分が怒りを覚えた言葉を無遠慮に人に投げかけてしまった経験も
あるのではないでしょうか。
(その覚えがない人は、普段から余程注意が行き渡っているか、
あるいは反省しようとしてないかでしょう)

他人に対しては怒りを覚える(=他人のNGワードを判定できる)のに、
自分のNGワードの把握は難しいというのは、
とても「NGワードゲーム」感があります。

ということで、NGワードゲームというものは、
「やってみたい」とかではなく「既にやってる」ものなので、
日々楽しんでいきたいです。

私もこの「NGワードゲーム」を遊んでいて、最近自分のNGワードを見つけました。

「それぐらいやってよ」「自分でやっちゃえば良いか」です。
(NGワードにしては少し長いですが)

「それぐらいやってよ」という言葉を最大限フラットに言い換えると、
「あなたはそれをすることが出来た」ということになります。

ここで注意が必要なのは、「出来る」と「するのが適切である」ということには
大きくギャップがあるということです。
他人の「それぐらいやってよ」という言葉に対しては、
「あなただって出来ましたよね?」という疑問がありますし、
自分の「それぐらいやってよ」という言葉に対しては、
「私だって出来ましたよね?」という疑問があります。

時に、「誰が出来たか」ではなく「誰がするのが適切か」を考えるべき局面があると、
私は思います。(むしろそういう場面の方が多いと思います)

逆もまた然りです。
「自分でやっちゃえば良いか」というのも、
「自分には出来る」という言葉であって、「自分がするのが適切か」という視点に欠けています。

楽な方に流れるのではなく、全体を見て、より適切な人が適切なことをするというのは、
プライベートにおいても仕事においても重要なことだと思います。
この2つのNGワードが頭を過ぎったときには、
「何が適切だろうか?」と踏みとどまっていきたいですね。

また、これらの2つの言葉に限らず、自分がどういう言葉に対して反発感を覚えるのか把握していくのが大事です。
皆さんは、どのようなフレーズがNGワードだと思いますか?