自己肯定感 その2
投稿日:2020年6月19日
芳村です。
前回に続き、自己肯定感についてです。
自己肯定感が少ない人は、 自分のことを、過小評価する傾向にあると思います。
私のエピソードですが、 20代のころ、友人と自分の将来についてよく語り合っていました。
傾向として、自分の状況や将来に、 彼女はネガティブで、私はポジティブでした。
でも、客観的、世間的な視点では、 彼女の方が、人並みに順風満帆で、 私の方が、紆余曲折、山あり谷ありでした。
でも、自分の状況に、 彼女の方が悲観的で、私は楽観的でした。
それは、明らかに、自己肯定感の差でした。
やってもやっても、自分ことを認められない。 「今」の自分に対して、合格点とできない。
その背景の1つに、成人するまでの間の母親からの評価の違いがありました。
彼女は、(世間的には評価される様な)自分の行為について、 母親から褒められたり喜ばれた記憶が殆どないとの話でした。 一方、私は、世間的には目立たない様な場面でも、 私個人の成長として、褒められ、喜んでもらっていた記憶しかありません。 そして「今」出来ていないことも、出来る様になる力(潜在能力)があると信じ、 私にも伝えてくれていました。
何の裏付けも根拠もありません。 只々、自分の力(潜在能力)を信じるだけ。 そして、「今」の自分ができる精一杯のことをするだけ。
でも、現在の私を形成している重要な要素になっています。
私は、SGの社風にも同じものを感じます。
「できない自分」に向き合ったとき、 持っている力(潜在能力)を信じ、成長するように促してくれる。 もちろん、仕事の場なので、時には厳しく、結果を出すことは求められますが、 根底に、持っている力を信じ、認めてくれる愛がある。
子供の頃は、世界が小さいので、自分自身や家族からの評価が絶対的になりがちですが、 社会に出ると、信頼できる第三者と多く巡り会うことができます。
信頼できる人、一目置く人、尊敬する人、 そんな人達の客観的な評価や信じてくれている心を素直に受入れ、 そして、何より、自分が、自分を認め信じる。
自己肯定感が少ない人は、 自分のことを、過小評価する傾向にあると思います。
私のエピソードですが、 20代のころ、友人と自分の将来についてよく語り合っていました。
傾向として、自分の状況や将来に、 彼女はネガティブで、私はポジティブでした。
でも、客観的、世間的な視点では、 彼女の方が、人並みに順風満帆で、 私の方が、紆余曲折、山あり谷ありでした。
でも、自分の状況に、 彼女の方が悲観的で、私は楽観的でした。
それは、明らかに、自己肯定感の差でした。
やってもやっても、自分ことを認められない。 「今」の自分に対して、合格点とできない。
その背景の1つに、成人するまでの間の母親からの評価の違いがありました。
彼女は、(世間的には評価される様な)自分の行為について、 母親から褒められたり喜ばれた記憶が殆どないとの話でした。 一方、私は、世間的には目立たない様な場面でも、 私個人の成長として、褒められ、喜んでもらっていた記憶しかありません。 そして「今」出来ていないことも、出来る様になる力(潜在能力)があると信じ、 私にも伝えてくれていました。
何の裏付けも根拠もありません。 只々、自分の力(潜在能力)を信じるだけ。 そして、「今」の自分ができる精一杯のことをするだけ。
でも、現在の私を形成している重要な要素になっています。
私は、SGの社風にも同じものを感じます。
「できない自分」に向き合ったとき、 持っている力(潜在能力)を信じ、成長するように促してくれる。 もちろん、仕事の場なので、時には厳しく、結果を出すことは求められますが、 根底に、持っている力を信じ、認めてくれる愛がある。
子供の頃は、世界が小さいので、自分自身や家族からの評価が絶対的になりがちですが、 社会に出ると、信頼できる第三者と多く巡り会うことができます。
信頼できる人、一目置く人、尊敬する人、 そんな人達の客観的な評価や信じてくれている心を素直に受入れ、 そして、何より、自分が、自分を認め信じる。
それが、個人的にも、社会人としても、成長していく要素になると思います。