清水 侑

『翔んで埼玉』で見る格差意識

こんにちは。秋葉原支店の清水です。

先日、映画『跳んで埼玉』を観ました。
面白いです。素晴らしく下らない茶番劇です。
でも最後には愛を感じます。
普段はガラガラの映画館が混んでて、
上映終了後には拍手が起こってました。

ストーリーの土台は人びとの地域格差意識です。
折角なので地域格差意識について書きます。

世の中には昔から地域格差意識はあって、古代の
中国では中国本土から離れた土地を「化外の地」
と呼んだり、日本でも織田信長が京に上った時に
京の料理人が「尾張の田舎者には醤油でも食わせ
とけ(繊細な味付けはわからないだろう)」と
毒づいた、という話が残ってます。

僕は北海道の本当に小さな港町出身ですが、
幸運にも地域格差の劣等感も優越感もなく育ち、
「田舎だよ、いいとこだけど」くらいの感覚です。
今でも地域格差の意識はほとんどなく、これまで
住んだシカゴの大都会であろうが、パプアニュー
ギニアであろうが、利便性や治安面で好みはある
ものの、土地そのものに序列を感じたことは一度
もありません。

周囲の北海道出身者を見ても、あまり地域格差
意識はもってないようです。多分、北海道が
移民の島国であることが要因の気がします。
地続きでないので他と比べる機会が少ないし、
移民が多く歴史が浅いため地域格差意識が醸成
されなかったんだろうと思います。

地続きで歴史が深いと、中心と周囲(都市と地方)
の溝は深くなり、地域格差意識が自然発生的に醸成
されるのではないか、と思います。

なので今後、これまで地域格差意識が少ない地域、
例えば北海道の「内部」でも、地域格差意識が醸成
されていく可能性は十分にありそうです。

面白いと思うのは、地続きで歴史が深いと格差意識が
生まれるということは、土地だけでなく、人びとの
集団、例えば会社にも当てはまることです。

人びとの集団の場合、地続きは接触回数の多さのこと
ですが、SGで考えると、現在は比較的新しい会社で
格差も感じづらいです。しかしこれが10年経ち、
いくつかの事業部に分かれたりすると、事業部同士で
格差意識が生まれ、「なんだ、◯◯◯◯部のくせに」
みたいなセリフが飛び出すことも、口頭妄想問わず
ありえます。実際、世の中の古くて大きい会社にも、
こういうことは結構あります。

そういう格差意識を持たないためには、地域格差の例で
考えると、一つに留まらないことだと思います。

生まれてから死ぬまで同じ場所で生活する人ばかりだと、
どうしても地域間格差意識は大きくなってしまいますが、
色んな場所に住んできた人は地域格差意識が少ないです。

なので、社内では色んな事業に携わったり、部署間を
異動したり、社外の人たちと何かを立ち上げたり、
はたまた会社員をやりながら個人でも仕事したりする
ことで、格差意識がないフラットな感覚を持てるのでは
ないか、と思ってます。