鈴木 徹司

被害妄想は簡単に起きる

娘達が小さい頃の話だ。
「カバンを貸してくれれない」
「写真を見せてくれない」
「ケーキを一口くれない」

姉妹や友達から、イジワルされたと感じて、怒っている。

自分の思うように物事が進まないとき、
特に、相手が自分の思うようにしててもいい状況なのに、そうしてくれないとき、
人間は、イジワルされたと被害者のように感じるようだ。

自分の思うように進まないことは、確かに不快だ。
不快な原因の一つである相手の行動も不愉快だ。

だから、相手に対して、怒ったり、批判的な言動をしたりしてしまう。

でも、ここで改めて考えたい。


カバンを貸すかどうかは、相手が決めること。
写真を見せるかどうかは、その人が自由に決めること。
ケーキを一口あげるかどうかは、相手が自分の感情に沿って決めること。

そして、その行動の理由を説明するか、まったく説明しないかも相手が決めること。


自分が不都合な状況になったときに、
人は、その状況を打破するために、相手を意のままに動かそうとする。
笑顔で頼んでみたり、それとなく伝えてみたりする。

そして、それでも埒が明かないと、
強く言ったり、批判したり、脅したりして、
だんだん手段を選ばなくなっていく。

本来は、相手が決めるべきことについては、
相手の意思を尊重するべきで、相手がどのような言動をしたとしても、
そのことを自分はどうこう言えない。

カバンを貸してくれなくても、そのことに怒ってはいけないし、
「何で?」とその理由をしつこく聞くこともしてはいけない。

自分がするべきことは、
他の人にカバンを借りる努力をするか、借りること自体を諦めるかだ。

娘達が、イジワルされたと感じるたびに、
それはイジワルではない。そもそも相手が自由に決めていいことなんだよ。
と説明して、受け止め方を修正してきた。

人間は、そんなところで被害者意識を持ってしまって、
被害妄想に陥ってしまいやすいんだと知った。