鈴木 徹司

自分に厳しく、他人に優しく

よく言われるフレーズですが、
好きでなくなった言葉のひとつです。

自分に厳しいのは、
将来の自分のためになると思って頑張っていたり、
自分の夢に向かって努力していたり、
している訳です。
すばらしいプロセスです。

それに対して、他人には厳しくしない。
大切なプロセスだと知りながら、他人には、求めない。

矛盾をはらんだ言葉です。

そもそも、厳しさと優しさは対立する概念でなく、
厳しさと優しさは、どちらかというと、共存しやすいものです。

友人に対し、その人に必要だと思い、厳しいアドバイスをする。
そこには、「相手のことを思う優しさ」と「はっきり言う厳しさ」があります。

問題に気付きながら、甘やかして何も行動しない。
そこには、「相手のことを思いやらない無視」と「自分の気付きに応えない怠慢」があり、
「厳しさ」も「優しさ」も見当たりません。

それなのに、いい言葉として、
なぜ、こんなに広く使われているのかを考えたとき、
他人へ迎合した言葉であることに気が付きました。

自分に厳しく、他人に優しい、
そのように生きている人は、
周りの人にとって、都合が良い人です。

その人はしっかり頑張って、周りの人のために働きながら、
でも、周りには、それを求めず、甘い対応をしてくれる。

自分の周りの人がそうあって欲しい、と考える人はいます。

そして、自分がいい人(本質は都合のいい人)だと思われたくて、
他人に迎合する人も使っています。

~自分も他人も大切にする~

その表現行為が、時に厳しく見えても、時に優しく見えても、同源です。