橋本 真希

近代日本におけるモダニズムの展開と「豊かさ」について

最近、これまで身近に感じることが少なかった日本の近代建築やモダニズムについて触れる機会がありました。

 

近代日本におけるモダニズムの動きは、19世紀末から20世紀初頭(昭和後期までと定義するものもありますが、今回は昭和前期までを対象とします)にかけて西洋からの影響を受けて発展したもので、それまでの伝統的な建築様式から脱却し、機能性と合理性を重視した新しいデザインの流れを生み出しました。
この時代、多くの建築家が新しい技術と素材を駆使し、社会の変革に対応した空間づくりに挑戦しました。
特に、鉄筋コンクリートやガラスといった新しい素材を用いることで、軽快で開放的なデザインが可能になり、都市の景観や人々の生活にも大きな影響を与えました。
近代建築は、単なる目新しい建物としてだけでなく、時代の象徴として成長してきた側面があります。

日本における近代建築の発展はモダニズムの動きと強く結びついており、見た目で分かるような建物の意匠の変化だけでなく、都市計画や芸術、文化、消費者行動に至るまで大きな影響を及ぼしました。
モダニズムの性格の一つとして、機能性と美の調和を追求し、無駄を省きながらも新しい技術やアイデアを取り入れることを重視する側面があるように思われます。
 
特に今、個人的に興味をもっているのが当時「大大阪」の名を国内外に轟かせていた大阪において発展したモダニズムの動きです。
当時(20世紀前半)の大阪は、市域ベースの人口で東京市を抜いて日本一、世界でも第6位の規模の大都市となっていましたが、同時に近代日本のモダニズムの動きを象徴する都市としても君臨していたようです。
梅田の大阪中央郵便局や中之島の大阪市庁舎など、都心を中心に多くの近代的な建築が建てられるとともに、都市計画全体にもモダニズムの考え方が反映されていました。
また、住友ビルや大阪倶楽部などの商業施設や社交クラブも、急速に流入する西洋文化の影響を受けながら日本独自の文化と融合したスタイルを取り入れていました。
鉄筋コンクリートという新しい建材の使用により、高層化が可能になった点も特徴です。
大阪府立中之島図書館は、古典主義のデザインを取り入れつつ、近代的な材料と技術を駆使した新旧融合の象徴でした。
 
  

モダニズムの動きは建築だけでなく、消費財にも影響を与えました。
大正時代は、日本におけるモダニズムが最も花開いた時期で、都市化と経済発展に伴い、都市部を中心に初期の大衆消費社会が形成されはじめ、企業は新たな消費者層をターゲットに広告を活発化させました。
雑誌広告やポスターにもモダンなデザインやキャッチコピーが使われ、例えば寿屋(現・サントリー)の「赤玉ポートワイン」のポスターが話題を呼びました。
 
この頃には、大戦景気で急成長する日本の民間消費に目を付けた欧米企業の日本進出も本格化していました。
新しい技術を取り入れた電化製品や自動車等の製品が登場し、生活をより便利にするとともに、「モダンなライフスタイル」の象徴ともなり、生活様式を変えていきました。
デザイン面も、アール・ヌーヴォーやアール・デコなどの西洋の美術様式が取り入れられ、商品パッケージや広告のデザイン要素として反映されたほか、製品のデザイン性が重視され、目新しさやハイセンスな感覚を武器に消費者の購買意欲を高めていきました。
 
  

こうした新しい建築や都市計画の中で、伝統的な町並みや風景が失われていく側面もありました。

新しいスタイルや生活習慣を取り入れることには、光と影が伴っていたように思います。
方々で言われていることですが、旧来の伝統的な価値観を未開的なものであると断じて積極的に破壊しようとする動きもあり、近代化の過程で多くの大切な文化や生活慣習が失われていきました。
 
 

明治以降、都市景観や建築において失われた要素として、例えば地域独自の風景や歴史的建物が挙げられます。
廃城や廃仏毀釈により多くの城郭や寺院が取り壊されたほか、木造建築や伝統的な技法が新しい建材や工法に取って代わり、技術的な多様性が失われ始める契機にもなりました。
効率性を追求する中で、歴史的な価値や文化的な豊かさが犠牲にされてきた側面があることは否めません。
 
一方、こうした失われたものを回復しようとする動きも少なくありませんでした。
建築に関しては、大正から昭和初期にかけて、伝統建築の価値が再認識され、京都や奈良を中心に修復や復元の活動が行われました。
古建築の修復には地元の職人たちの技術が活かされ、失われつつあった伝統技法が再評価されました。
この動きは、地域の文化的アイデンティティを守るための試みの先駆けといえるものであり、西洋的価値観を絶対善としていたようにも思われる明治・大正期の日本においても文化遺産を保護しようとする動きが一定の共感をもって受け入れられていたを示しているように思われます。
 
また、柳宗悦を中心に始まった民藝運動も代表的な取り組みの一つです。
民藝運動は、生活様式の変化(大量生産・大量消費社会への移り変わり)によって失われつつあった数多くの無名の民芸品の価値を見直し、それを復活させようとした運動で、各地でごく普通の生活を営んでいる数多の無名の作り手達が生み出す日用品に改めて美を見出し、近代化の波に飲み込まれないように、それらの技術と精神を保存しようとしました。

 

民芸品や工芸品のような手仕事の品々には、同じものを再び作ることはほぼ不可能という「一回性」が際立っています。
その唯一無二の存在感を認識するにつけ、まるで生き物のように強い魅力を放っているように感じることがあります。
これらの品々は、制作される過程だけでなく、日々使われることで命が吹き込まれ、生活に溶け込んでいくものでもあります。
それに対して、大量生産された「モノ」たちはどうでしょう。
その多くが使い捨てを前提としているため、「生活に根ざす存在」とは言い難く、機能的に使いやすいと感じることはあっても、愛着を持ったり大切にしようという感覚にはなりづらいように思います。
建物についても、前例をもとに精緻に合理的に設計していくことで、一定の手順を踏めば機能面でもデザイン面でも高品質な建物を建築することができるようになった一方、その再現性の高さ故に個性や人間味は失われているように思います。
 
また、普段の生活の中で、人間がモノを使うというより、むしろモノに使われているのではないかと感じることもよくあります。
それはモノだけでなく、サービスについても同じことが言えます。
現代の都市もどこか無機質で、人々は都市の一部としてただ存在している(半ば機械的に動かされている)、そんな受動的な印象を受けます。
最近は再開発等も盛んで、そこを利用する人々にとって快適な空間づくりに重きを置くようになった風潮もありまっすが、現代の都市空間はそれでもまだ効率と機能性を担保することが前提にあり、それはもちろん重要なことではありますが、多くの場合冷たく無機質なイメージが拭いきれないように感じられます。
 
 

自分の感覚でモノに触れ、それを使い、生活に馴染ませるという感覚は、大量生産品ではなかなか得られませんが、こういった感覚こそが、生活や精神性の「豊かさ」を取り戻すための大切な要素の一つだと思います。
民芸や工芸的なものは、使い手の存在によってその輝きを増し、人間側もまた主体的でいられる関係を築くための媒体として、その手がかりになり得るものだと最近感じています。
これらの品々は、使い込むほどに手に馴染み、時間とともにその価値が増していきます。

同様に、建物にもまた、自然素材を生かした建物や設計から関わった建物には、画一的な設計や大量生産の建物では得られない感覚があるのかもしれません(個人的にはそういった建物に住んだ経験がないので実感を伴って言うことはできませんが)。
そうでなくても、自分の感覚で触れ、住み、生活に馴染ませることで、その真価が発揮されるのではないかと思います。建物も、単なる滞在する場所としてではなく、暮らしや地域と共に成長し、その価値が時間と共に増していく性質は変わらないと思います。
 
 

モダニズムの時代は、「人間が主体だった時代」と「モノが主体の現代」の境界に位置しているのかもしれません。
「人間が主体だった時代」については、もはや現代とかけ離れていて、正直なところ感覚的に理解できる自信がありませんが、明治から戦前あたりの移行期は、それよりはまだ身近なものとして感じることができるように思います。
戦前の建築やデザインには合理性と美が同居していて、機能性を追求しながらも、まだ人々の生活に寄り添うような性格があったように感じられます。
だからこそ、モダニズムの時代の建築や生活様式に対して、個人的に何か惹かれるものを感じるのかもしれません。
近代のモダニズムとじっくりと向き合い、その背後にある物語を考えることで、失われた何かを取り戻し、物質的な面以外でも豊かな生活を築くことの大切さを再認識できるのではないでしょうか。
 
 

効率性や経済性が重視される中で、モノに触れて、それを生活の中で大切に使うことが、豊かな時間を過ごす一助となります。
また、ただ一つだけの民芸品や工芸品に込められた職人たちの思いや技術、それを使う人々によって命が吹き込まれる瞬間というのも、私たちの生活をより豊かで意味のあるものにしてくれます。
こうしたモノたちとの関係性は、現代の大量生産品では味わえないものです。
大量生産されたモノや建物は厳密に規格化されており、個別の物語が欠如しています。
使い捨てを前提としたモノに、私たちが心を寄せることは難しく、それはただの道具でしかなくなってしまいます。
一方で、手仕事から生まれるモノは、その背後にある作り手の物語や、制作の過程で培われた技術と経験が感じられます。
それらのモノを使うことで、私たちは作り手との間にも見えないつながりも再確認することができるのではないかと思います。