東 周平

「変えられるもの」は全て技術

東(アズマ)です。
個性やアイデンティティ・自己認識etc……
言葉は色々ありますが、「自」と「他」を分けるものが、
今の時代、何かと話題に上がります。

「自分はこういう人間だ」「こういうところが譲れない」という部分も人それぞれで、
互いに尊重しあうべきものと思います。

一方で、気楽な考え方の一つとして、私自身は
「全部変わってしまっても、変えようとしても、良いのではないか」と考えるようにしています。

変えようとして変えられるものは、全部「自分」の根幹に関わるようなものではなく、
根幹の部分は、「本当に変えたくない」と身構える必要もなく、変わらないのだから、
「全部変えてしまおう!」と思うくらいが気楽なのかな、と思ってます。
(何かが変わってしまったときに、喪失感を持たずに済むことが多いです)

じゃあ逆に、「変えられるもの」は、「自分」ではないなら何なのだろうか、と。
私は「技術」ではないかと思います。

話し方、容姿、思考、人生観、友好関係、趣味、特技、etc……

色々な話し方が出来るのも技術、
状況にあった服装等に出来るのも技術、
「自分」と異なる思考を受け入れるのも技術、
物事の捉え方・人生観も技術、
どんな人・どんなグループと仲良くできるかも技術、
趣味や特技も技術、……

どこに自分の個性を感じるかは人それぞれですが、
画一的に端的に「ここは変えられない」というものは無いように感じます。
変えられる部分を全て技術で埋め尽くし、自分の理想に近づけ、
それでもどうしても残ってしまう部分が「自分」だと考えています。

こういう考えで気楽に生きられているのは、
強烈に何かを変えられてしまった経験に乏しいからかもしれませんが……
ひとまずは、こういう考え方で生きています。